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高松高等裁判所 平成11年(行コ)2号 判決 1999年11月30日

控訴人

滝恒夫

右訴訟代理人弁護士

久保和彦

被控訴人

亡脇信男訴訟承継人

脇千巻

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

柳瀬治夫

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  高松市に対し、被控訴人脇千巻は、金九五〇万円を、同沖永律子及び同高橋眞知子は、各金四七五万円をそれぞれ支払え。

3  被控訴人増田昌三は、高松市に対し、金一九二六万円を支払え。

4  訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

主文と同旨

第二  事案の概要

一  原判決の引用

原判決「事実」欄の「第二 事案の概要」の項に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決四頁四行目の「被告増田」の前に「同市長である」を付加し、同六頁七行目の「支払命令」を「支出命令」と改める。

二  当審における控訴人の補足的主張

1  乙第六号証は、高松市が平成五年五月に、本件全集の講読を広く呼び掛けるために作成して配布した広告であり、右広告において、亡脇は、本件全集発刊の趣旨として、「高松市では高松市制一〇〇周年・菊池寛生誕一〇〇年を記念して、郷土・高松が生んだ偉大な文化人で、現在の文壇の隆盛の礎を築いた菊池寛の業績を称えるとともに、これを後世に残すため、菊池寛の著作を可能な限り収録した菊池寛全集の発刊を次のとおり計画しています。」と述べている。右広告文からすると、高松市は、菊池寛を偉大な文化人として顕彰するために本件全集を刊行したことは明らかである。しかし、本件全集第一七巻に収録された「新日本外史」は、日中戦争が四年目に入った昭和一五年三月に発行され、天孫降臨の神話にはじまり、その子孫であるとされる代々の天皇の治世と、これを補佐した忠臣を顕彰するという内容で貫かれた、皇国史観に基づくものである。また、同巻に収録された「二千六百年私感」も同じく皇国史観に基づくもので、その末尾には、「昭和六年の満州事変は、日本史が、漸く世界史の中で、これをリードしようとし始めたことを意味している。満州の一角に上った現状打破の叫びは、一波万波を呼んで、イタリー、ドイツの活躍となり、世界再編成の運動を捲き起こしているのは、周知の如くである。……(中略)犠牲を踏み越え、踏み越え、われわれはこの空前の大事変を乗り切らねばならぬ。嘗てわれわれの祖先が示したような、大勇猛進が、今ほど必要とされている時代は、二千六百年を通じて、絶無なのである。」と結語されている。また、同巻に収録された「事変と武士道精神」は、武士道と皇国史観、軍国主義とを結びつける理論を展開し、天皇のために死ぬ覚悟を持てと煽動している。本件全集第二〇巻の「西住戦車長伝」は、国民に対する戦意の高揚のほか、中国に対する侵略戦争の実態を隠蔽し、好戦的な国民をつくり、戦車の重要性と忠君愛国に徹した戦闘的で有能な指揮官の必要性を説いている。同巻の「満鉄外史」は、昭和六年九月一八日の柳條湖の鉄道爆破は、北大営駐屯支那正規軍の公然たる行動であったと明記しているが、同事件が関東軍の謀略であったことは、敗戦後、歴史上明らかにされていることであるから、当時、事実に反することを国民に信じ込ませる狙いを持つとともに、満州への侵略を合理化し、満州を拠点に大東亜共栄圏をつくることを日本民族の使命と位置づけることにあった。更に、本件全集第二三巻及び第二四巻における「話の屑籠」「其心記」等は、軍事、政治、経済、文化、思想、信仰等のあらゆる分野にわたって、皇国史観の浸透、軍国主義の強化、戦争遂行の立場から書かれた文章が数多く収録され、その中には、小学校三、四年生に切腹の作法を教えよというもの、戦争に関係のない文化生活、教養生活、趣味生活は中止すべきであるというもの、今度の戦争に負けることは、どのような業病にかかるよりも不快であるというものなど、目を覆いたくなるものが含まれている。このような第一七巻等に収録されている作品は、国民の思想動員に威力を発揮し、侵略戦争の遂行に大きな役割を果たし、またそのために大きな犠牲を生むことになったのであるから、菊池寛を「偉大な文化人」といえないことはもとより、たとえ、「偉大な文豪」として顕彰したとしても、「偉大な文豪」ということもできず、このような著作の刊行に公費を使用したのは違法である。

2  本件全集の刊行が菊池寛の顕彰を目的とすることは、前記広告の記載内容に照らして明らかであるが、更に、これを補強するものとして、亡脇が本件全集刊行の予算案を高松市議会に提出した際に行った度重なる提案理由説明(乙一四)がある。これによれば、菊池寛の業績を後世に残すために本件全集を刊行するとの趣旨が述べられ、研究目的という言葉は使用されておらず、また、乙第七号証の本件全集の刊行の言葉によれば、亡脇は、戦時中の菊池寛のことをあれこれ言うなと非難を封じ込め、菊池寛の顕彰一辺倒で本件全集の刊行を企画したものと認められるから、本件全集の刊行目的は顕彰だけを目的としていることは明らかであり、このような顕彰目的から第一七巻等の刊行に公費を使用したのは違法である。

3  亡脇は、本件全集刊行の予算案を平成四年九月の高松市議会に提出した際、その提案理由の説明として、「社会教育費では、菊池寛記念館の開館記念事業として、本市が生んだ偉大な作家であり、文化人でもある菊池寛の文学的業績をたたえ、その著作を可能な限り収録した全集を発刊し、後世に残すために菊池寛全集発刊準備費を措置するものでございます。」と述べている(乙一四)が、これを平易にすると「偉大な作家であり、文化人でもある菊池寛の文学的業績を称え、後世に残すために本件全集を発刊する。」ということになる。しかし、第一七巻等に収録された作品は、既に主張したとおり、皇国史観に基づくもの、軍国主義と全体主義を宣伝するもの、侵略戦争を美化するもの、国民の戦意昂揚をはかるもの、国民を戦争に駆り立てるもののどれかに該当する。したがって、これら四巻について公費を使用し、刊行責任者に市長の名を記し、高松市の名で刊行し、しかも、菊池寛の業績を称え、作品を推奨して刊行することは、高松市がその作品の内容を肯定し、支持することに通じることであって、これを不特定多数に頒布し、全国一〇八箇所の図書館に配布して多くの人に供覧させる行為は、結果的には日本国憲法に違反する作品の宣伝を広く行うことに通じ、憲法九九条、一九条、二〇条及び憲法の前文が掲げる国民主権主義、平和主義、基本的人権尊重主義に違反することは明らかである。

第三  当裁判所の判断

当裁判所も、控訴人の請求を棄却すべきであると考えるが、その理由は、次のとおりである。なお、当裁判所は、控訴人の請求を検討する過程で菊池寛の著作や業績に言及せざるを得ないが、これを推奨あるいは排斥する等の評価を目的とするものではない。

一  原判決の引用

次に補正するほかは、原判決の「第三 争点に対する判断」の項に記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決一九頁一〇行目から一一行目にかけての「昭和三一年に高松市中央公園に菊池寛の銅像を、」を削除し、同頁末行の「同公園」を「高松市中央公園」と改め、同二〇頁五行目の末尾に「なお、昭和三一年に高松市の肝入りで、高松市中央公園に菊池寛の銅像が建立されたが、建立者は菊池寛顕彰会となっている。」を付加し、同二二頁九行目の「議会において」の次に「菊池寛を文豪と評価している」を付加し、同頁末行の「同様の要望がなされており、」の次に「亡脇は、右議会において、高松市長として、菊池寛を郷土が生んだ偉大な文化人であるとして答弁した。」を付加し、同二八頁九行目の「郷土の生んだ偉大な文豪」を削除し、同二九頁四行目の「偉大な文豪菊池寛の業績」を「菊池寛を郷土の生んだ偉大な文化人あるいは文豪と評価してその業績」と改め、同三一頁五行目の「軍国主義的内容が存在するからといって」の次に「(菊池寛の作品や言動の中に、現行憲法下における価値観と合致しないものが一部含まれていることは被控訴人らも認めている。)」を付加し、同三二頁六行目から七行目にかけての「本件全集は、郷土の生んだ偉大な文豪菊池寛を顕彰する」を「本件全集は、高松市出身の菊池寛を郷土の生んだ偉大な文化人あるいは文豪と評価して顕彰する」と改め、同三五頁三行目の「郷土の生んだ偉大な文豪」を「高松市出身の」と改める。

二  当審における控訴人の補足的主張に対する判断

1  控訴人は、高松市が本件全集の講読を広く呼びかけるために作成した広告(乙六)の記載内容からすれば、菊池寛を「偉大な文化人」として顕彰するために本件全集を刊行したことが明らかである旨主張する。確かに、右広告文には、高松が生んだ偉大な文化人で、現在の文壇の隆盛の礎を築いた菊池寛の業績を称えるとともに、これを後世に残すために、菊池寛全集の発刊を計画している旨の文言が記載されている。しかし、菊池寛の生涯は、小説等の執筆活動に限られず、雑誌の発刊、芥川賞及び直木賞の創設、映画の制作、幅広い趣味の分野での活動等が公知の事実であるところから、その諸活動を通観して、菊池寛を「偉大な文化人」あるいは「偉大な文豪」とみる評価もありうるのであり(もとより、「偉大な文化人」あるいは「偉大な文豪」とみない評価もありうる。)、右広告文に「偉大な文化人」と記載したことが当然に誤りであるということはできない。

控訴人は、第一七巻等に収録された作品が皇国史観の浸透、軍国主義の強化、戦争の遂行を美化ないし鼓舞する立場から書かれたもので、国民の思想動員に威力を発揮し、侵略戦争の遂行に大きな役割を果たし、またそのために大きな犠牲を生むことになったのであるから、「偉大な文化人」といえないことはもとより、「偉大な文豪」ということもできず、このような著作の刊行に公費を使用したのは違法である旨主張する。確かに、控訴人の指摘する作品は、皇国史観の浸透、軍国主義の強化、戦争の遂行を美化ないし鼓舞する立場から書かれたものとみることもでき、このようなみかたからすれば、菊池寛の右作品を、国民の思想動員に威力を発揮し、侵略戦争の遂行に寄与し、またそのために大きな犠牲を生むことになったと評価することも可能である。しかし、評価される人間の複雑、多様性、評価する側の立場や認識の相違を考慮すると、高松市が本件全集を発刊するに当たり、菊池寛の生涯にわたる幅広い諸活動を通観して、菊池寛を「偉大な文化人」あるいは「偉大な文豪」と評価することが許されないとまでは考えられない。第一七巻等に収録された作品は、右のように軍国主義的なものとして厳しく評価されるが(菊池寛の作品の一部に現行憲法下の価値観と合致しないものがあることは被控訴人らも認めるところである。)本件全集の一部として第一七巻等の発刊がなされたことからして、これの公費による刊行が違法であるということはできない。

2  控訴人は、本件全集が菊池寛の顕彰のみを目的として刊行されたものであり、戦争に協力した菊池寛を顕彰する目的で、第一七巻等の刊行に公費を使用したのは違法である旨主張する。

確かに、前記広告文や亡脇が本件全集刊行の予算案を高松市議会に提出した際に行った度重なる提案理由説明(乙一四)によれば、菊池寛の業績を後世に残すために本件全集を刊行するとの趣旨が述べられていることが認められる。しかし、引用認定事実及び引用判断のとおり、高松市は、昭和二三年に没し故人となって久しい菊池寛の業績を顕彰するとともに、菊池寛を見直して全国的により多くの関心を集め、また菊池寛研究に活用できる基礎資料としても提供し、我が国文芸の発展に資することを目的として、本件全集を発刊したものである。したがって、本件全集を構成する第一七巻等の刊行に公費を使用したことが違法であるということはできない。

3  控訴人は、高松市が菊池寛を偉大な作家であり、文化人でもあるとしてその文学的業績を称え、後世に残すために本件全集を発刊したが、第一七巻等に収録された作品は、皇国史観に基づくもの、軍国主義と全体主義を宣伝するもの、侵略戦争を美化するもの、国民の戦意昂揚をはかるもの、国民を戦争に駆り立てるもののどれかに該当し、このような内容の四巻について公費を使用し、刊行責任者に市町の名を記し、高松市の名で刊行することは、その作品の内容を支持し、推奨することに通じ、日本国憲法九九条、一九条、二〇条及び憲法の前文に違反する旨主張する。

しかし、控訴人が当審で提出するものを含めた全証拠によっても、高松市が第一七巻等を含む本件全集を発刊することによって、菊池寛の作品を軍国主義、全体主義、侵略戦争の美化及び国民の戦意昂揚をなす立場から推奨していると認めるに足りない。第一七巻等に収録された作品は菊池寛の全集を刊行するとの目的から収録されたもので、その作品の内容を支持し、推奨するために掲載されたものでないことは、前記引用判断で示した本件全集の発刊目的及び既に判示したところから明らかである。控訴人の右主張は、採用できない。

第四  結論

よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからいずれも棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法六七条一項、六一条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井土正明 裁判官 溝淵勝 裁判官 杉江佳治)

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